BERNARD BUFFET 年譜
| 1928年 | 7月10日、パリに生まれる |
| 1943年(15歳) | ナチス・ドイツ占領下、ヴォージュ広場のパリ市夜間講座に通う。 国立美術学校の入学試験に合格し、12月からユージェーヌ・ナルボンヌ教室で学ぶ。 |
| 1945年(17歳) | アトリエ作品賞受賞。母ブランシェ死去。《キリストの降下》(パリ国立近代美術館所蔵)などの本格的な作品を生み出す。 |
| 1946年(18歳) | サロン・デ・モワン・ド・トランタン(30歳以下の人たちの展示会)に初めて《自画像》を出品。 |
| 1947年(19歳) | アンデパンダン展(風景画と静物画の2点)とサロン・ドートンヌ(《肘をつく男》)に出品し、注目され始める。 カルチェ・ラタンの書店「アンプレッションダール(芸術の印象)」で最初の個展。 |
| 1948年(20歳) | 6月、批評家賞を受賞(サン・プラシッド画廊、《ふたりの裸の男》)。以後、世界各地で個展が開催される。 ドライポイントを始める。 |
| 1950年(22歳) | プロヴァンスに滞在し、小説家ジャン・ジオノや詩人ジャン・コクトーと親交を深める。 |
| 1951年(23歳) | 代表作《キリストの受難》三部作を制作(このうちの2点は当館所蔵)。 |
| 1952年(24歳) | リトグラフを始める。 |
| 1953年(25歳) | 第2回日本国際美術展に《化粧する女》を出品(以後第6回展まで出品)。 |
| 1955年(27歳) | 『コネッサンス・デ・ザール(芸術の知識)』誌が企画した「戦後の画家10傑」の1位に選ばれる。 |
| 1958年(30歳) | アナベル(シュウォーブ・ド・リュール)と結婚。 |
| 1959年(31歳) | 神奈川県立近代美術館で、日本最初のビュフェ展(デッサンと版画)が開催される。 |
| 1963年(35歳) | 回顧展「ビュフェ展、その芸術の全貌」が東京の国立近代美術館と国立近代美術館京都分館で開催される。 |
| 1973年(45歳) | 11月25日、静岡県長泉町にベルナール・ビュフェ美術館が創設される。 |
| 1974年(46歳) | ヴァティカン法王庁美術館のアパルタメント・ボルジアに「現代宗教美術コレクション」の一部として《ピエタ》《受胎告知》などの大作6点が収められる。 |
| 1975年(47歳) | フランス・アカデミー会員となる。 |
| 1980年(52歳) | ベルナール・ビュフェ美術館の招待により初来日、関西方面を取材旅行する。 |
| 1988年(60歳) | 12月9日、コレクションの増加に伴い、新館が増設される。 |
| 1991年(63歳) | ロシアのエルミタージュ美術館とプーシキン美術館で大回顧展。 |
| 1993年(65歳) | レジオン・ドヌール勲章のオフィシィエの称号を受ける。 |
| 1995年(67歳) | 日本を縦断する大規模なビュフェ展が開催される。 |
| 1996年(68歳) | 5月20日、ベルナール・ビュフェ美術館に版画館が増設される。 ビュフェ夫妻は落成祝賀に臨席。ビュフェの来館は7回目、これが最後の来館となる。 |
| 1999年(71歳) | 10月4日、ボームの自宅にて逝去。 12月15日、ベルナール・ビュフェ美術館で、アナベル夫人が臨席し、ベルナール・ビュフェ追悼式を行う。 |
| 2000年 | 「死」展(モーリス・ガルニエ画廊)。8月〜2001年12月、全国6ヶ所を巡回する「ビュフェ追悼展」開催。 |
| 2005年 | 8月3日、アナベル夫人逝去。 |
| 2008年 | 「ベルナール・ビュフェ」展(フランクフルト、MMK)。 |
| 2009年 | 「ベルナール・ビュフェ没後10年」展(ベルナール・ビュフェ美術館)。 「ビュフェとアナベル」展(横浜そごう美術館、いわき市立美術館)。 |
