ベルナール・ビュフェ
photo: © Denise Colomb, Ministère de la Culture (France), Médiathèque du Patrimoine, Dist.distributed by AMF-DNPartcom  (provided by Galerie Maurice Garnier)

 

ベルナール・ビュフェ(1928-1999)は、黒い描線と抑制された色彩によって第二次世界大戦後の不安感や虚無感を描出し、世界中の人々の共感を呼びました。その虚飾を排した人物描写は、当時の若者に多大な影響を及ぼしたサルトルの実存主義やカミュの不条理の思想の具現化として映り、ビュフェ旋風を巻き起こしました。具象画壇の旗手となったビュフェはベルナール・ロルジュやアンドレ・ミノーとともに、新具象派あるいはオムテモアン(目撃者)と呼ばれ、1950年代半ばには日本でも頻繁に紹介されました。日本の美術界は抽象画全盛の季節を迎えていましたが、ビュフェの黒い直線と強烈な表現に衝撃を受けた芸術家は少なくありませんでした。以来、半世紀以上の年月が流れましたが、現代のアートシーンにおいてもビュフェの存在感はゆるぎないものとなっています。

ビュフェは「私は絵を描くことしか知らない」「絵の中に自分自身が埋没してもよい」と語っていました。絵を描くことに人生のすべてを捧げていたのです。
そのようなビュフェの生涯を通じて、影響を与え続けた女性がいます。1958年、ビュフェは30歳でアナベルと結婚しました。ビュフェはアナベルの豊かな才能や表情に魅せられ、創作活動において多様な表現を試みました。モノトーンの画風から多くの色彩を使うようになり、以前よりも絵に明るさが加わったのもこの頃からです。アナベルは、ビュフェにとって生涯の女神(ミューズ)であり、彼女をモデルにした作品も多く残っています。

ビュフェは当美術館を愛し、生前にはアナベル夫人とともに7回の来館を果たしました。1996年5月、版画館(現在の別館・企画展示室)がオープンした際の来館が最後となりました。そのとき、ビュフェは、次のような言葉を残しています。
「素直な愛情をもって、絵と対話してほしい。絵画はそれについて話すものではなく、ただ感じ取るものである。ひとつの絵画を判断するには、百分の一秒あれば足りるのです」。

ベルナール・ビュフェ年譜

1928年 7月10日、パリに生まれる
1943年(15歳) ナチス・ドイツ占領下、ヴォージュ広場のパリ市夜間講座に通う。
国立美術学校の入学試験に合格し、12月からユージェーヌ・ナルボンヌ教室で学ぶ。
1945年(17歳) アトリエ作品賞受賞。母ブランシュ死去。《キリストの降架》(パリ国立近代美術館所蔵)などの本格的な作品を生み出す。
1946年(18歳) サロン・デ・モワン・ド・トランタン(30歳以下の人たちの展示会)に初めて《自画像》を出品。
1947年(19歳) アンデパンダン展(風景画と静物画の2点)とサロン・ドートンヌ(《肘をつく男》)に出品し、注目され始める。
カルチェ・ラタンの書店「アンプレッションダール(芸術の印象)」で最初の個展。
1948年(20歳) 6月、批評家賞を受賞(サン・プラシッド画廊、《ふたりの裸の男》)。以後、世界各地で個展が開催される。
ドライポイントを始める。
1950年(22歳) プロヴァンスに滞在し、小説家ジャン・ジオノや詩人ジャン・コクトーと親交を深める。
1951年(23歳) 代表作《キリストの受難》三部作を制作(このうちの2点は当館所蔵)。
1952年(24歳) リトグラフを始める。
1953年(25歳) 第2回日本国際美術展に《化粧する女》を出品(以後第6回展まで出品)。
1955年(27歳) 『コネッサンス・デ・ザール(芸術の知識)』誌が企画した「戦後の画家10傑」の1位に選ばれる。
1958年(30歳) アナベル(シュウォーブ・ド・リュール)と結婚。
1959年(31歳) 神奈川県立近代美術館で、日本最初のビュフェ展(デッサンと版画)が開催される。
1963年(35歳) 回顧展「ビュフェ展、その芸術の全貌」が東京の国立近代美術館と国立近代美術館京都分館で開催される。
1973年(45歳) 11月25日、静岡県長泉町にベルナール・ビュフェ美術館が創設される。
1974年(46歳) ヴァティカン法王庁美術館のアパルタメント・ボルジアに「現代宗教美術コレクション」の一部として《ピエタ》《受胎告知》などの大作6点が収められる。
1975年(47歳) フランス・アカデミー会員となる。
1980年(52歳) ベルナール・ビュフェ美術館の招待により初来日、関西方面を取材旅行する。
1988年(60歳) 12月9日、コレクションの増加に伴い、新館が増設される。
1991年(63歳) ロシアのエルミタージュ美術館とプーシキン美術館で大回顧展。
1993年(65歳) レジオン・ドヌール勲章のオフィシィエの称号を受ける。
1995年(67歳) 日本を縦断する大規模なビュフェ展が開催される。
1996年(68歳) 5月20日、ベルナール・ビュフェ美術館に版画館が増設される。
ビュフェ夫妻は落成祝賀に臨席。ビュフェの来館は7回目、これが最後の来館となる。
1999年(71歳) 10月4日、ボームの自宅にて逝去。
12月15日、ベルナール・ビュフェ美術館で、アナベル夫人が臨席し、ベルナール・ビュフェ追悼式を行う。
2000年 「死」展(モーリス・ガルニエ画廊)。8月〜2001年12月、全国6ヶ所を巡回する「ビュフェ追悼展」開催。
2005年 8月3日、アナベル夫人逝去。
2008年 「ベルナール・ビュフェ」展(フランクフルト、MMK)。
2009年 「ベルナール・ビュフェ没後10年」展(ベルナール・ビュフェ美術館)。
「ビュフェとアナベル」展(横浜そごう美術館、いわき市立美術館)。